ウルトラマン昇天

金城哲夫には長生きして欲しかったなあ。
彼が亡くなったのが76年2月。ウルトラマンシリーズは75年3月のレオ最終回で途絶して、しばらく円谷プロが沈黙していた時期。
この年の春から、東映東宝はゴレンジャーのヒットをみて集団ヒーローものを連発、秋からは円谷が特撮とアニメの融合を目指した『ボーンフリー』『アステカイザー』をスタートさせますが、いずれも時代の仇花と散ります。


それがこの頃の金城の目に入っていたとも思われないけれど、生きてさえいれば78年からのウルトラマン再評価*1を見ることも出来たかもしれない。ウルトラマン80への参加があり得たかどうかは微妙だけど、38年生まれの金城なら、96年でも58歳だったわけで、ティガへの参加なら充分ありえたんじゃないかと思えてしまう。
実際、37年生まれの上原正三はティガに一本、マックスに二本書いている訳だし。


まあ、ティガ#49「ウルトラの星」は、1966年にタイムスリップしたティガの姿にインスピレーションを受けた円谷英二のオーラから初代ウルトラマンが実体化するという、安っぽいファンタジーに首を傾げたし*2、マックス#13・#14ではゼットンもキングジョーもそっちのけ、話のベクトルが長澤奈央にばっかり向いていて釈然としなかったわけですが……。

そんな文句を垂れつつ、「そういや上正はシャイダーでも森永奈緒美に萌えまくってたわけだし、別に年行ってから若い女優にハマッたってもんでもないよなあ」とか勝手なことを言ってられるのは、案外(マニアとして)幸福なんじゃないかなあと。

こともあろうに、非教育的で、ケイチョウフハクな怪獣TV映画の脚本家となってしまった。TVの脚本家なんて、なまけずに努力すればゲンナマがまあまあぐらいは入ってくるもんだから、それに目がくらんでいつの間にか地獄の使者みたいになったってわけです。
(p.154より)

高校の同窓会の会報に書いた文章だから、当時の良識派の理解を超越していた怪獣ものの仕事を、故意に自嘲的に書いてみせているのだと思うけれど、この1年後に金城は円谷プロを離れて沖縄帰っちゃうわけですよ。
東京の人間になりきれず、しかし沖縄の人間にもなりきれず、引き裂かれた自我が酒に溺れていく姿は痛々しい。


ウルトラで苦労を知らずに成功しちゃったから、沖縄での無理解に耐えられなかった……なんて単純なことで割り切っても仕方ないのだろうけど。
あと、橋本洋二との衝突のくだりも痛々しいものがありますな。長坂秀佳の自伝『術』では大恩人として登場する橋本、たしかに長坂や市川森一や、多くの脚本家を育て上げた名伯楽であることは間違いないけど……金城に関しては「馬は地上を走るもんだ」と天馬の羽をもいでしまったのではないか。


もし金城が沖縄の決着をつけていたら、一体どんなウルトラマンを描いたか……
いや、再び東京に出た金城が描くのは、ウルトラマンとも怪獣たちともまったく異なる存在だったかもしれない。
ウルトラマンを描いても、マニアの目からも子供の目からも評価されない作品になったかもしれない。
それでも、それが永遠に描かれ得ない現実よりは、幸せだったと思う。

ウルトラマン昇天―M78星雲は沖縄の彼方

ウルトラマン昇天―M78星雲は沖縄の彼方

*1:もっともこの時期評価されたのは金城脚本作品ではなく、実相寺監督作品だったわけだが。

*2:どういうわけか、ワタシがリアルタイムで見たティガはハズレ回ばっかりなのですよ orz